一九六九年七月二十日の午前十時過ぎ、開店直後の新宿紀伊國屋のエスカレーター登り口のわきのところで、ぼくは一体自分が第三者の眼にはどんな若者にうつっているのかを初めはちょっと相当に気にしながら、激しい夏の陽ざしの中に突っ立っていた。
人並みはずれて丈が高い上にわたしはいつも日和下駄をはき蝙蝠傘を持って歩く。
新選組局長近藤勇が、副長の土方歳三とふたりっきりの場所では、「トシよ」と呼んだ、という。
津田京子は、某流の謡曲の師匠であった。
勤務する大学で「二十世紀の戦争と平和」という連続講義の順番が回ってきた。
私はあまり健全なる肉体を有してはいない。筋骨逞しくもないし、しばしば病院の世話にもなる。
『日本文学史序説』の〈序説〉はイントロダクションに近い言葉ですが、〈日本文学史〉というときに、私が何を意味し、何を理解しているかということを示したものです。
一九九三年末、丸山眞男の肝臓癌が判明した。
東京都中央区の日本橋界隈に残る掘割のひとつ、亀島川が、隅田川に出るところに南高橋という小さな鉄の橋がある。
・・・・・・小説がかけなくなったらムリすることないよ。ムリはいけないな。
殺風景な会場、壇上中央やや寄り、椅子に座った受賞者は、うつむき肩をすくめ、栄えある立場なのに、恐縮の態というよりなお、非難の視線一身に浴びて、ひたすら前非を悔いる、罪人の印象だった。
「なんで驚いているの?」 「えっ……?」
僕はこの世界に、左足から登場した。